平成23年9月議会・一般質問
 おはようございます。傍聴者の皆さま早朝よりごくろうさまです。先に通告いたしました「豪雨災害について」質問いたします。
 
1.豪雨災害対策について
  今日も私を含め5人中4名が災害に関する質問を行います。
昨日まで13人中8人が豪雨災害、2人が放射線量と災害に対する対応について質問を行っており、改めて、今回の豪雨がいかに大きな災害であったかを物語っています。

  議員諸氏は「市民の生命と財産を守る」という視点から、時には鋭く、時にはソフトに、時には声を大にし、市長に迫りました。

 その市長の答弁を聞き、心強く思うと同時に、災害に対峙する、わが、南魚沼市の職員を誇りに思いました。職員のみなさんは、今も降雪前までには復旧復興するんだと、災害査定をはじめ、休みを返上で頑張っております。

 私は、7月28日から8月7日まで、浦佐から出れないで災害対応に当たっていましたので8月11日の会派の災害現地視察で六日町、塩沢の被害の大きさにびっくりしました。
 登り川の堤防の決壊、泉盛寺の土砂流出、カバの沢・上越国際スキー場の惨状、五十沢キャンプ場に通じる道路の崩落寸断、そして小川、土沢の土砂崩れと大惨事を目のあたりにし、声が出ませんでした。

 さて、昨日からの一般質問を聞き、浦佐新町での豪雨災害対策を検証することも、市の防災対応に大切ではないかと、感じましたので最初に話しさせていただきます。

新町での浸水は魚の川の増水と同時に28日夜から始まり、一旦は水は引きましたが、29日の夜から徐々に多くなり、30日の午前10時ころが最高位に達し23棟が床上となりました。

水が引けたのが確か8月2日でしたので5日間浸水状況でありました。この5日間の泥水の浸水というのが、泥が土が堆積し、水が引けた後も後片付や復旧作業を困難にさせました。

 正直私は、7月30日の早朝、黒沢の土石流が黒沢川とスガリ沢川を埋めつくし、川がどこにあるかわからない土石流の山を見、そして、真っ赤な泥水が町内を埋め尽くした様は、お盆まで引かないのではないか、お盆を迎えられるのか、と思ったほどでした。
8月6日に現地対策本部を撤収できたのは、大和庁舎・市の的確で敏速な対応のおかげです。

土砂の搬入場所は、瓦礫の処理は、ヘドロはどこに運搬する、重機が足りない。又、7月30日は国交省の排水車はまだか、消防団に小型ポンプの要請をしたり、家に取り残された方にボートの出動と大変な一日でした。このように、毎日現場の状況は変わります。そして、町内からの相談、要望等も日々多くなる中で、大和庁舎は、100%すぐに対応してくれました。本当に助かりました。

 一例をあげれば、8・2夜7時頃、被災者の方から「4日も知人宅や親せきの風呂をもらうのは気が引ける。浦佐温泉を利用出来ないか。」の要請に対し、5分後にはOKの回答です。すぐ該当の家に連絡し大変喜ばれました。

 又、8・3の朝の町内常会で、側溝や山からの土砂に放射線は、公園を臨時ヘドロ場所にしたが大丈夫なのかという、放射線量の心配に対しても、すぐに対応してくれ、午前11時には職員が機器を持参し、10か所の調査をし不安を払しょくしてくれました。

  消防団は本当に良く活動してくれました。消防団の法被姿に安全と安心を享受できました。27日から夜の巡回、浸水家屋への土嚢積みと28日29日は寝ずでの対応でした。そして、7月30日には昼夜を徹して40台からなる小型ポンプで排水活動をしてくれました。
その活動で浸水の上昇を防ぎ、床上浸水を23棟でくい止めることができたのです。
 
 そして、忘れてならないのが、大和企業体14社による災害支援体制です。各企業3名から5名の割り当てで、8月1日から5日まで毎日50人から60人体制で新町に来てくれました。毎日朝8時にミーテングをし作業に当たってくれました。

この体制が無ければお盆は迎えられなかったでしょう。8月5日の企業体解散式では、新町の区長さんは目に涙を浮かべ感謝の言葉を述べていました。

 8月3日には市長から企業体の皆さんに激励に来ていただき、大和地区議員の皆さんも、8月4日企業体の朝のミーテング時に駆けつけてくれました。

  前後いたしますが8月1日午前11時30分ごろ、同僚議員が長島代議士と現地に来てくれました。長島代議士にJR線路の下の浚渫の許可が下りなく排水がままならない状況を話すと、現場から2、3か所電話をしておりました。
午後3時市役所建設課からJRから許可が下りた旨の電話が来ました。この災害ですので、叱られるのは覚悟で業者からは線路下に潜っていてもらい作業はしてもらっていましたが、正式に許可が下り助かりました。

 60戸の町内はというと、このような甚大の災害は、昭和44年8月の水害以来です。今から40年前です。86歳のうちのおやじも魚の川が改修されたから、うちまでは床下も床上も来ないと言う程でしたので、区の役員も町内全員が初めての経験でした。

 8月30日は、豪雨も収まり、床上浸水に遭い呆然としている家の人と、全然被害に遭わない家の人とが混在しており、情報や噂が行き交え、町内が一種のパニック状態のようでした。
 どうしていいのか、何をしていいのか、行政は消防団は何をしているのかといったような具合でした。

 現状の報告と今後の災害対応について、情報の共有が大切だと、町内の臨時常会を31日、3日、5日、7日と開きました。日々状況が変わる中で、この会議は大変有益でした。町内のまとまりも更によくなり、手薄のところに町内で助け合いが始まりました。

 浦佐地区区会も5日に開催し情報の共有を図りました。

 最後の7日の常会で区長は区民に「15日に開催される仮装盆踊り大会には新町も例年通り参加しようと呼びかけ、28日に行われる浦佐地区市民明朗運動会にも全員元気に参加しようと。
 そして、再開が危ぶまれていた25回の山岳マラソンもコース変更でこの新町を走ります。みんなで応援しましょうと話しました。」
 災害で気が滅入り、町内が自粛しそうなところを、そうではないよと話し良かったです。

 今回の町内の災害を通し、一番の教訓は情報の共有の大切さでした。そして、自主防災組織、行政区長のリーダーシップです。今回の災害を教訓に多くの反省点もありますので、自然災害は防ぐことは出来ませんが、災害は最小限に食い止めることができます。そのためにも「自主防災組織」のありかたが重要と学びました。

 それでは、3点質問させていただきます。基本的には昨日、一昨日の市長の答弁に網羅されておりますが、違った視点から伺います。

 @ ハザードマップによれば、魚の川が氾濫すると南魚沼市で市街地が埋没するのは浦佐地域だけですがその対策について伺います。(外水氾濫)

  このハザードマップは魚の川と三国川が氾濫した場合を想定した浸水範囲と浸水の   深さを示しており、その雨量は48時間で240ミリ。その240ミリという数字は100年に1回  程度という。
  今回の豪雨は、その240ミリをはるかに超える344ミリ(1.4倍)です。魚の川が、決壊し   てもおかしくない状況でした。
  この240ミリを一つの指針として作った魚の川の堤防です。

  100年に一度ではなく、井上議員が言っていました「災害は忘れないうちに来る」です。
  地球環境も大きく変わっており想定外の雨で決壊したといわせないように500ミリの雨  が降っても安心していられる魚の川を望みますが市長の見解を伺います。

 A 今回の新町の浸水は、黒沢の土石流で流木が魚の川の水門をふさいで黒沢の水とすがりさわ川が排水出来なく5日間も浸水しました。その排水対策について伺います。(内水氾濫)
 
今回の浸水は人災だという初老もおりました。私たちの浚渫の陳情を10年以上もほっぽていた行政に責任だと。

   今の現状を打開するために、国からスガリ沢樋管を流木が引っかからないように大   きくすること。
   又、橋のところに流木が引っかかるような仕掛けを作り、1年か2年ごとに河床の浚    渫を行う事。
   又、樋管から管を伏せ今回の災害に遭っても、排水ができるようにしておくこと。

 B FMゆきぐによる災害情報(魚の川の洪水予報)が届かない事への対策について問う。


 
       
 



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