平成23年6月議会・一般質問

傍聴者の皆さま、暑いなかご苦労様です。
 3日間ご苦労様でした。一般質問最後となりましたが、先に通告いたしました2件について質問いたします。

 
1.浦佐スキー場来季営業中止に思う!

 大変残念なことになりました「浦佐スキー場」のことであります。

昨年、スキー学校創立50周年記念パーテーを、11月に東京で12月に地元で開催いたしました。そのあいさつで、牛木社長は「スキー学校50年の節目を、新たなるスタートとしたい。浦佐スキー場開設の原点である「地域とともに歩む」そして、「地域に愛されるスキー場をめざす」と言ってシーズンが終わったばかりです。

524日の臨時株主総会で、来季営業中止を決断した。その胸中を思うとき、さぞかし無念であったと思います。

浦佐スキー場は昭和33年に開設いたしました。スキー場の発案者は、当時町医者であった駒形医院の先生です。駒形泰男先生は、「冬になると、年代を問わないで、なぜか患者が増える。診察しても風邪とも違う。どこも異常はない。患者が冬になると増えるのは、何故だろう」と良く人に話していたそうです。

たどり着いた答えが「半年間雪に埋もれ、体や頭を使う、働く場が無いからだ。そして、男手は出稼ぎに行き、家に一家の大黒柱がいないせいだ。」「医者では治せない病気で、このままでは浦佐は死んでしまう」と、山の開発・スキー場を、地区民に訴えました。

 東京の資本や大企業が来るならいざ知らず、全村民から出資を募り、地元で運営するという、先生の熱意と行動力に、全地区民が一口・500円から参加いたしました。

 この小さな浦佐スキー場に、2年後の昭和35年に浦佐スキー学校が開校しました。浦佐スキー学校は、スキー道場と呼ばれスキーヤーであれば、一度は浦佐で滑り、浦佐スキー学校に入らないとスキーヤーと言われないとまで言われました。昭和40年、50年、60年代と日本を代表するデモンストレーターが産まれ育て、そのスキー技術は常に日本をリードしてきました。

今でも浦佐スキー学校の1級検定合格はスキーヤーの目標でもあります。今年3月に開催された全日本スキー技術選手権で浦佐スキー学校の金子あゆみ選手が女子の部で日本一となり、スキー関係の雑誌の表紙を飾っております。

浦佐の町は、スキー場の開設で一変いたしました。汽車が到着するたびに、駅からスキー場までスキーヤーで埋まる。リフトの1時間待ちは普通。ほとんどの農家が民宿をし、お母さんたちは調理師の資格を取り台所に立つ。出稼ぎに出ていたお父さんはスキー場に。   

私は子供ながらに浦佐駅までスキーヤーを迎えに行ったことや、開店休業になった駒形先生が犬そりでスキー場に来ていたことを、今でも覚えています。

当時誰が今日のスキー産業の衰退を予想したでしょうか。私の胸中は大変複雑なものがあります。

来季営業中止の、その決断に理解をしているつもりですが、本当に地元や行政で、何とかできなかったかのかということです。くやしくてなりません

市長に質問いたしますが、南魚沼市の基幹産業である冬季観光・スキー場への入込は年々減少しており、毎回、一般質問で視点を変え、スキー産業の衰退をうれい、同僚議員がスキー産業の活性化を市長に訴えております。

市では市民のリフト券の割引券の発行や、市観光協会とタイアップして、JRやJTB等のエージェントに足蹴に通い、思いつく施作は実施していますが、スキー場への入込客が増えるという結果が出ておりません。

スキー場の営業中止は浦佐だけでいいですので、雇用を含め多くの市民が関係しておる、基幹産業であるスキー産業を衰退させてはいけません。

市長、スキー場への入込客の増大に必要なことは、PRも大切で重要ですが、より大切なことは、地元からの利用が増えることではないでしょうか。

そのためには、小学生、中学生、いや保育園・幼稚園のころから板をはき、スキー場に足を運ばさせることです。市長の考えをお聞かせください。

  浦佐スキー場の土地・山は、浦佐スキー観光株式会社が半分、市有地が4分の1、個人有地が4分の1です。まだ先の話になるとおもいますが、スキー場跡地の保全と活用については、今後浦佐区民で検討し市との相談になると思います。

特に浦佐スキー場の頂上の市有地の上に地震で壊れ、今でも大変危険な状況になっている建物について、このまま放置できませんが、現時点での市長の考えをお聞かせください。

2.魚沼基幹病院メデカルタウン構想について 

 毘沙門様を中心に賑わいを見せた浦佐は、昔、門前町であり三国街道の宿場町でした。酒造りが4件あったことからも相当の賑わいを見せており、上田の庄の中心的役割を果たしていた。明治の頃の統計によると、六日町よりも旅籠の数、人口は浦佐が多かったようです。

しかし、交通の発達とともに、浦佐駅西地域は、ある意味で時代の流れから取り残された空間になった。そんな浦佐の旧市街地を、もう一度活性化しようと取り組みが始まったのが5年前です。

 昨年、市と新潟県の支援を受け「浦佐の自然と歴史・文化を守り・育て・活かした町づくりをしよう」と、3地区でまちづくり会議がスタートいたしました。

魚沼基幹病院も今年度着工し、27年開院に向けて動き出した。

基幹病院の開院に関連し、多くの企業や関連産業が進出をもくろんでおり、確実に定住人口は増加し発展いたします。

牧之通りを想像してください。意匠や色彩の統一のとれた街並みは、歩きたくなり、心も癒されます。多くの人が訪れます。

 先に配布された「市の図書館の建設と地域の魅力づくり」で南雲デザイン事務所も指摘しているように、街並みは、「統一感が無く混とんとしている」と言っています。

高さや色彩も個人の自由で何でもありで、街並みはちんどん屋のようです。景観や歴史に配慮した、まちづくりの基本コンセプトもなく進んできた結果であります。

企業や関連産業の進出や開発で、地域や土地が虫食い状態になり、無秩序なまちづくりにならないよう、次の3点を伺います。

@         一つは、市長も県知事もただ基幹病院を作るだけではなく、人が集まるまちづくりも合わせて行うと言っており。市長も土地の利用計画を作ると言っております。メデカルタウン構想の具体的な手法と工程はどのように考えているのか。

A         二つ目は、昭和4610月に上越新幹線浦佐駅停車決定を受け、大和の人口が3万人になるという想定のもとに、昭和48年に計画された「都市計画事業」現在見直しを行っておりますが、その進捗状況と見直し時期はいつですか。

B         三つ目は、南魚沼市は、平成19年度に県内で5番目に、景観行政団体になりました。市長は市民参加による検討委員会を立ち上げ「景観計画を策定」するといっていますが、その進捗状況と策定の時期はいつですか。
  

 以上壇上からの質問を終わります。

 





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