平成18年6月議会・一般質問
 本議会初日に、3月議会で、一般質問しました「森林林業振興について」の資料の配布有り難うございました。その資料を見て、梅雨時期に入り、集中豪雨の災害が発生しないことを、祈らずにはいられませんでした。
 それでは、先に通告致しました、2点について市長に質問いたします。

1.大和町史刊行について

 最初に大和町史発刊について伺います。
 ちょうど一年前になりますが、7月8日に、300年近く前から伝わる奉納舞「翁式三番」の大崎郷土芸能振興会の皆さんと、200年以上続いていた神楽舞を、明治26年に32面を使い26座の神楽舞を完成させた「若宮八幡宮神楽舞」の一村尾保存会の皆さんと、浦佐裸押合い大祭の、3団体の関係者が初めて一堂に会しました。   
 それは、南魚沼市と大きくなり、合併したばかりであわただしく・忙しくなり、郷土芸能とか文化財等に、目が行き届かなくなり、おろそかになるのではないかという、不安と危機感からです。10人集まりました。名前も「大和地域文化財保存連絡会」としました。
 今日まで世話人会を6回、「たより」を会員向けに10回発行しました。、主な活動として、昨年は7月22日に東京国立文化財研究所の新潟県文化財審議会会長の星野紘氏を囲んでの「文化財の勉強会」を、11月25日には忘年会を兼ねて「文化財を語る懇親会」を開催しました。
 そして、それぞれの誇れる郷土芸能、8/14大崎「翁式三番」、9/17・18の一村尾「若宮八幡宮神楽舞」、3/3の裸押合い大祭を見学しました。
 それらの活動を通じ、先人の果たしてきた活動やその足跡に、あの時代・車や今のような道具が無かったのに、良く作ったものだと、先人の功績の偉大さに驚くばかりです。
 私たちは、次の世代に、確実にこの文化財や伝統芸能・歴史を記録に残し引き継ぐ事が、南魚沼市の将来の発展のために不可欠です。
 今、新潟県内で市町村史が刊行されていないのが、合併前の旧111市長村で、粟島村と西川町(現新潟市)と大和町だけです。
「大和町史」は昭和52年に先史・古代の上巻が、平成3年に近世・江戸時代の中巻が発刊されましたが、近・現代の明治以降の下巻はは未刊のままです。
 明治33年(1900)の南魚沼郡で一番の人口の多いところは浦佐でした。
 明治10年には現在の南魚沼郡で、一番の旅館が浦佐にありました。このほか、現在住んでいる街並みや集落の形成、江戸時代から現在までの八色原の開発と農業、八海山信仰、明治以降の養蚕の発展と「雷土銀行」の設立など、私たちを取り囲む地域がどうであったのか知りたいことがたくさんあります。
 子供達が将来この地で生活するとき、地域の生い立ちと先人達の努力とその成果を知りたいと思うときが必ず来ます。又、今、生活している私たちも、先人達の生活や取組みを知ることによって、今を考え、現在および将来にむけて、この地に誇りをもち、勇気と自信がわいてくることになります。そして、先人達に負けない地域作りと生活の向上をめざすことになります。
  大和町史の刊行は、合併前の7月における大和町議会で、議員の質問に、当時の秋山町長は「六日町体制に準じた編集方法を考えている」と答弁され、六日町との合併の約束事でした。
 その、大和町史の刊行のことが、昨年4月1日発行の「市報みなみ魚沼 生涯学習特集号」に、「大和町史の取組みについては、六日町町史終了後(あと7年後)取組む事にしましたとありました。私たちは、大和地域審議会の委員の皆さんとも連携し、担当部署に六日町町史が終わってからでは遅いと、再三お願いしました。
 執行部からご理解いただき、本議会の市長所信表明の27ページに大和町史の完成を目指し、18年度に大和町史部会の設立をするという、ことにまずもって、感謝申し上げます。
 そこで、市長に3点ほどお伺いします。その計画によりますと19年・20年・21年・22年と4年間、現地資料調査および収集作業を行い、23年に上・中巻の補完および下巻の原稿執筆を始め、24年に補完および下巻の発刊となっていますが、机上の計画とならないよう確認の意味で伺います。
 二つめは、現在の大和町史は中巻まで刊行されていますが、内容は「大和町史」というよりも「魚沼郡史」的で、一人の方に執筆をお願いしたため、大和町全体を調査した上での記述になっておりません。
 そこで提案致しますが、市民参加方で作るようにしてもらいたい。その事について伺います。
 三つ目ですが、大和町史刊行について、大和の方からなにやら早く作ってくれと言う声が出てきたから、六日町町史作成の過程の中で、大和町の資料もあるから、とりあえず。部会を立ち上げたことにして、六日町町史に付随したかたちでとりあえずスタートしようというふうに、考える人もいますが、私はそうではないと、思っていますが、市長の考えをお聞かせ下さい。
 



2.日本風景街道と景観条例の制定について

次に「日本風景街道と景観条例制定」について
人が、いや井口市長、あなたが行きたい町、行きたくなる町は。又、観光客がいや自分が歩きたくなる街並み、歩きたい街並みはどんな道ですか!
 駅を降りたら都市計画で道が広がり、その両脇に街路樹ができた歩道のある道と、駅を降りたら狭い道だが、生活のにおいのする昔にタイムスリップしたような街並みの道と、どちらを歩きたくなりますか。 
 今の道路は単にモノ・人を運ぶ機能を有する道具として整備が進められ、その結果街並みは看板や電柱等が氾濫し、美しさ・景観・味わい等のニーズは優先されてきませんでした。
 昔は物資や情報は、街道を通じ伝えられ、又、道は祭りや商売・大道芸等を行い、人が集まり遊ぶ生活空間となっていた。
 
 今年の3月23日に地域振興局地域整備部の学習会に参加し「シニック・バイウェイ・ジャパン」日本風景街道の話を聞いたとき、地域の町の再生はこの事業の導入からだと思いました。当市は年間300万人が訪れる観光地であるが、年々訪れる人が減ってきております。集客力も主にスキー場や温泉・祭り等の単体に限られており、今後の観光振興に限界が見えてきています。
 今、塩沢地区では地域住民が中心となり、商店街の「牧之通り」に続いて、駅前通を「つむぎ通り」にしようと、町づくり懇談会がスタート致しました。
まさに、国が提案している「日本風景街道」です。

 この7月4日に日本風景街道の学習会を浦佐で計画しています。
 それは、浦佐駅西を毘沙門堂・普光寺を中心にした歴史あふれる街並みに、浦佐駅東は八色の森公園を核として、田園に広がる病院、田園をキャンバスとした国際大学・北里学園と連携した、新しい街(福祉・健康と学園)を、そして、自然豊かな国定公園越後三山を結ぶ。三つの地域を日本風景街道として結び新たな地域興し、観光資源をスタートさせます。
 大和地域の自然・風景・景観のシンボルは八海山と駒ヶ岳のです。八海山と駒ヶ岳と調和した町づくり無くして、大和地域の日本風景街道は考えられません。 
 その景観が将来とも継続できるように、そして守れるために、景観条例は必要です。又、人が歩きたくなる街並み、道も看板や色彩等の統一を考えたとき景観条例は必要と思いますが市長の考えをお聞かせ下さい。そして、19年度に「シニック・バイウェイ・ジャパン」日本風景街道の事業が大和地区に採択されますよう、県当局に市長からもお願いすることをお願いして壇上からの質問を終わります。 









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